2005年05月05日

墨流とは(1) 孫子の限界

(1)孫子の限界

中国の古典で、経営戦略に引用されるのはなんと言っても「孫子の兵法」でしょう。
私のホームページでも<「孫子の兵法」のパロディー的経営戦略>なるエンターテインメントのページを作ってみました。
ところが、このページを作りながら感じたのは「孫子の兵法というのは攻撃が主体の戦術論だな」ということでした。

いわく、戦いの計画はこのよう立てよ、指揮官はこのような人材を用いろ、火責めはこうしろ・・・といった戦術論が生き生きした筆致で描かれています。

戦国時代においては、「侵略は悪である」というモラルはありませんから、このような攻撃的な戦術論がもてはやされたのも理解できます。

そのような戦術論は、食うか食われるかという(概念的な)資本主義市場経済において攻撃的事業展開をする企業にもよく当てはまるであろうと思われます。

ところが、現実的の社会を眺めてみると、必ずしも互角に近い力をもった企業同士が食うか食われるかの戦いをしているというような(概念的な)資本主義市場経済とは違った様相が多く見られます。

現実の社会は、たとえば小さな企業群が相互に微妙な住み分けをしながら共存と競争を行っていたり、全く勝負にならない巨大資本の進出と零細企業の戦いが行われたりといった様々な様相を呈しています。

そのような状況においては、孫子の兵法のごく一部のフレーズはうまく当てはまっても、全体的な思想としてはあまりに荒唐無稽な机上の空論にすぎないものに映ります。

巨大なショッピングセンターの進出におびえる零細商店に向かって、孫子流に「敵を知り己を知れば百戦して危うからず」と諭してみても仕方がありません。

そんな思いを感じつつ孫子の解説書を読んだついでに、何気なく手に取った墨子の解説書を読んでみて、そこに書かれた墨子の考え方が実に新鮮で大いに引かれるものを感じました。

特に、その考え方の根底に流れる「現存するものに対するいとおしみ」の感情に大いに感銘しました。

この点を悪くとらえて、「墨守」(=古くからあるものを頑なに守ろうとすること、変化を忌避すること)という成句ができています。

しかしながら私は、既に在るものには何らかの意味があり、強引な力でそれを潰してしまうことはよいことではないと考えます。

もちろん、環境が変化したにもかかわらず、旧態依然とした経営を続けていてよいということではありません。

大きなショッピングセンターが近くに進出してくる危機に直面した個人商店は、生き残るために知力を尽くして戦わなければなりません。

そのための知恵を授けてくれるのが墨流経営の研究なのです。

次回から墨流の具体的な中身を述べていきます。
posted by 利アップ at 15:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 墨流とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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