2005年05月07日

墨流とは(3) 兼愛−@

6つの命題について述べていくにあたって、最初にお断りしておかねばならないのは、この「6つの命題」なるものは筆者が独自に墨子のエピソードから選択したものだということです。
墨子の解説書をひも解いてもてもおそらく「6つの命題」などは出ていませんのでご了承ください。

さて、まず第一の命題は兼愛です。
兼愛とは、現代の言葉で言えば「博愛、平等」といった概念にあたります。

2千数百年前にこんな概念を持ち出したことに驚きます。

墨子の兼愛(博愛主義)の主張のポイントは、《「天下の利」は平等からうまれ、「天下の損」は差別から生じる》というものです。

企業経営に関して、「平等と差別」という言葉からまず思い浮かべるのは、従業員の処遇だと思います。そのほかにも、顧客への対応や広くステークホルダーへの対応といった問題でも、平等と差別という観点から考えてみることができます。

順にみていきましょう。まず、従業員です。

従業員の処遇に関して言えば、最近はやりの成果主義がまず思い浮かびます。
成果主義とは「チャンスの平等、評価尺度の平等を前提にした結果としての処遇の不平等」を強調する処遇制度です。

ややもすると、結果としての処遇に差をつけることに意識が向きがちですが、前提としてのチャンスの平等や評価尺度の平等がなければ、単に結果としての不平等(低評価)を押し付けられた従業員の不満が高まり、組織全体としての生産性に悪影響を及ぼすことが指摘されています。
(cf 「虚妄の成果主義」(日経BP 高橋伸夫)

ところが現実の経営を考えたとき、チャンスの平等や評価尺度の平等をかなりのレベルで確保できるのような職場は実はとても限られてるのではないでしょうか。例外的なケースとして都市銀行や生命保険会社の支店や大手スーパーマーケット(GMS)の店舗などでは、数多くの支店や店舗があり、そこでは同じような職務を全国の各地で展開してます。このようなケースでは、職員をいくつかの支店・店舗にローテーションすることでチャンスを平準化したうえで、同一の評価尺度でもって成果を評価することも可能だと考えられます。

従って、成果主義で結果の不平等が発生しても、従業員は納得せざるを得ないと思われます。

しかし中小規模の企業においては、それぞれの職務は社内において唯一ユニークのものであって、単純に同一のテーブルに載せて比較するわけにはいかないことが一般的ではないでしょうか。
例えば、数十人の規模の会社で営業担当者と総務担当者の成果を比較するなどというのは、どんなに尺度を工夫してもどだい無理があります。

どちらの職能も会社の経営に不可欠ですし、それぞれの職務を「会社の売上げや利益への貢献度という観点で金銭で評価する」といったこともできるとは思えません。

したがって、「各人の年間目標を立てて達成度で業績を評価する」などの形で成果主義を言い出したとたんに、そこには差別が生じ「天下の不利」が生じるのです。

もし、経営が苦しくて賃金テーブルを引き下げたいのならば、流行だからということで「成果主義」を標ぼうして表面を飾るのではなく、真正面から苦しい経営実態に応じて平等に負担を求めていくいく姿勢こそが「天下の利」を生じる王道なのです。

次回は、顧客に対する兼愛を考えてみたいと思います。
posted by 利アップ at 23:57| Comment(2) | TrackBack(1) | 墨流とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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Posted by 医療保険・がん保険 at 2007年11月09日 12:07
とても面白いブログですね。
これからも頑張って下さい。
Posted by ほけんの窓口で保険見直し at 2011年07月17日 10:29
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墨子の兼愛、孟子の批判
Excerpt: 墨子の兼愛 「博愛」は「人でなしの愛?」  昨日、『墨子 − 漢字家族』に少々加筆したので、ここにも転載します。  映画『墨攻』も上映されました。いい映画でしたが、やはり原作を読まないとね。..
Weblog: 漢字家族BLOG版(漢字の語源)
Tracked: 2007-05-10 23:08
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