2005年05月29日

墨流とは(6) 非戦−@

墨流の提唱する命題の2つめは、「非戦」です。

墨子は他国への侵略戦争を大変嫌いました。
逆に、他国からの侵略に対しては断固として立ち向かうことを主張しました。

このことの意義を理解するために、墨子の活躍した当時の状況を思い起こしてみましょう。

古代の中国では、国家とは「城砦都市」とその都市を拠点とする王が支配する地域から成り立っていました。

そこでの国家間の侵略とは他国の支配地域を簒奪することですが、「城砦都市」そのものを滅ぼさない限りは、簒奪した地域を完全に支配することはできません。
従って、「中原に雌雄を決する」という形で最終的な勝敗を決するというよりも、最後は城攻めにより一方が他方を壊滅して国同士の戦いは決着することが多かったのです。

つまり、侵略の究極的な形は、相手の城砦を攻め滅ぼしてしまうことだったのです。

そして、時代背景には、小さな国同士が食うか食われるかの争いを続けながら、徐々にいくつかの大国に集約されていき、やがては秦の始皇帝による大統一へ向かってるという激流が流れていました。

従って墨子がいう「非戦」とは無抵抗主義や平和主義という意味ではなく、自らは自国の拡張欲の為に他国を侵略するような侵略戦争は行わないし、他国が侵略を仕掛けてくれば断固としてこれを排撃するという強い意志をあらわす言葉だったのです。

墨子がこのような「非戦」を唱えて民衆の支持を得たのは、兵役や戦費の負担もさることながら、最後の城攻めになると住民も巻き込まれて略奪、虐殺の被害が甚大であるからということもあったでしょう。

一方、この侵略の仕上げである城攻めは、攻めるほうにとっても手間隙がかかり損失も大きいことから、庶民の視点が欠如している孫子の兵法でも「怒りに任せて、白兵戦を仕掛けてはいけない」などとして深入りを避け、もっぱら城外での会戦における戦い方に力点をおいて解説しています。

孫子の兵法はもっぱら「どうやって侵略戦争で勝つか」を追求したものですから、手間隙がかかり犠牲も大きい城攻めを避けるように指南したのも当然かもしれません。

一方、墨子はそのような弱肉強食のあり方そのものに対して異議を唱えて「侵略戦争はしないし許さない」ことを主張しています。

このような考えは、時代に逆らったものだったのかもしれませんが、私としては経営理念として強く共感するところがあります。

墨流研究所では中小企業の経営は「孫子の兵法ではなく墨子の理念で経営にあたるべし」と主張するのは、一国に一つの城砦しか構えていない中小企業が弱肉強食で相互に侵略しあうような経営はステークスホルダーの利益につながらないと考えるからです。

次回は「非戦 侵略しない経営」についてもう少し掘り下げて述べたいと思います。
posted by 利アップ at 21:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 墨流とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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