2004年07月01日

お菓子の実演販売に「伊勢の片焼き」を思う

「伊勢の片焼き」とは、江戸時代の爆発的なお伊勢参りの際に、受け入れ地の伊勢の旅館が考え出した、焼き魚風の料理だといわれています。
現在のようなガスコンロもない江戸時代に、年間何十万人という参詣人に手早く食事を出すために、いかに数をこなすかだけを考え、本来は魚を焼くところを、大なべで煮て、焼き火箸で焦げ目だけをつけて(しかも片側だけ)供するという料理法を創出したのだそうです。調理法を聞くと、いかにも不味そうですが、実際不味かったらしくて、今も伝説的に名前が残っているわけです。
さて、伊勢の片焼きのように、実際には別の手段で火を通して調理済みだが、彩りというか風味付けのために、後から焦げ目だけつける、という製造法は今でも活用されています。
例えば「焼き豆腐」です。以前ある街の豆腐製造所で台の上に並べた豆腐に、上からバーナーでアブって焦げ目をつけているのを見かけました。最初何か工事をしているのかと思いましたが、「焼き豆腐を作っているんだ」と気づきこんな風に作っているんだとビックリしました。それ以来、スーパーの店頭で焼き豆腐を見るたびに、バーナーで焼かれる豆腐を思い出してしまいます。
さて、いつも通勤に使う駅に、洋風の焼き菓子を製造販売しているお店があります。洋菓子の老舗が新しい業態を展開しているものです。そのお店では、広くない店舗の三分の一程を割いて、実演コーナーを設けて焼き菓子を作っている様子を見せています。他所で下ごしらえをして配達してきたお菓子のベースに、店内で若干のトッピングをしてオーブンで焼いたりするのですが、最近焼きプリンのようなものをこの焼き豆腐方式で作っているのを見かけました。何だか見てはいけないものを見てしまったような気がしました。
最近、ソバを打ったり、シュークリームを焼いたり、クリームを詰めたりなど、その場で製造実演をすることで「新鮮さ」や「本物感・手作り感」をアピールするという食品の販促策を見かけますが、どうも何でも見せればいいというものではないようです。
見せる以上は、何をどう見せるかという「演出」を十分に考える必要があると思った次第です。
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2004年06月23日

スーパーコンピュータの性能ランキング

スーパーコンピュータ性能ランキングTOP500」(独 マンハイム大学、米 テネシー大学、 米 エネルギー省の国立ローレンス・バークレイ研究所)調べ、が発表されました。 
一位は3年連続で、日本の海洋研究開発機構地球シミュレーションセンターに設置されたNEC製のスパコンでしたが、今年の話題は、中国製スパコンが初のトップ10入りを果たしたことです。このランクを掲載していた日経新聞の記事には、中国が初のベスト10入りしたことを受けて「改めて日本・アジア製コンピュータの脅威論が高まる可能性もある」とのコメントを記していました。
ここで、記者が「改めて」と書いたのは、次のような背景があると推測されます。
このリストを見ると、第一位の日本のNEC製Earth-Simulatorの飛びぬけた性能が目に付きます。稼動から2年たっても2位にまだ2倍近い差をつけています。日本が2年前に、このとんでもないスーパーコンピュータの開発を完了したと発表したとき、その性能にショックを受けた米国ではソ連に人工衛星打ち上げで先行された「スプートニクスショック」になぞらえた論評まであったようです。日本は1997年にこのプロジェクトを開始してからずっと計画を公表してきたにも関わらずです。
ではなぜ、米国はこのようにスーパーコンピュータにこだわっているのでしょうか? 実は、2,3位を占めている米国の2つの研究所は、どちらも原爆開発にかかわったことで名高い(?)軍事研究も行っている研究所です。このことから推測されるように、スーパーコンピュータの用途は、天気予報や、地球環境の研究、電力ネットワークのシミュレーションなどもありますが、軍事技術開発においても大変重要な役割を背負っています。
従って、米国としては自分の国以外で、とんでもないスイーパーコンピュータが開発されたことにショックを受けると同時に、その国が、原爆開発には絶対使用しない、同盟国の日本であったことに胸をなでおろしたことと推測されます。
今回、中国が10位に顔を出した訳ですが、中国は米国にとって非同盟国であり、核保有国ということで、Earth-Simulatorの出現時とは違ったリアクションも予想されます。何年か前には、いったん米国から中国に輸出された高性能コンピュータが目的外使用されているとして返却させているぐらい神経を尖らせている事項なのですから。
が、とりあえず今回のランキング発表を見る限りは、米国内の反応は比較的冷静で事実を淡々と報じているという感じです。
NEC製は独自プロセッサでしたが、中国製は米AMD製のAthlonを使っているということで、マアまだ大丈夫と思っているのかも知れません。

しかしながら、今の米国、何が起こるかわからないよ、という意味込めて日経記者は「改めて」と書いた・・・のかな?
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2004年06月19日

横浜中華街のマンション計画白紙に

本日(04.06.19)の日経新聞首都経済面の記事で、横浜の中華街の中心部にマンション建設を計画していた大京と地元の「横浜中華街発展会協同組合」との間で、マンション建設断念、現在駐車場になっている土地は組合が買い取りという記事が出ていました。
マンション建設は一般的には、いったん計画が走り出すと周辺住民の反対運動ではまず止められませんが、恐らく大京も納得できるだけの土地の買取価格が合意されたものと推測されます。さすが繁盛する金持ち横浜中華街といべきでしょう。しかしこの記事で、私が本当に注目した点はもうひとつ別にあります。新聞の記述を引用すると「組合側は海の神をまつる『媽祖廟(まそびょう)』を…建てる計画だ」「大京は『交渉過程で、中華街にとって非常に神聖で希少な場所ということを理解した。街の今後の発展を考えると、廟を建設するという案も賛成できる』と撤回の理由を説明。」という部分です。
媽祖廟とは航海や通商の安全を守る神様だそうで、鎮守の神を祀る城隍廟とならんで中国・台湾や華僑の間で信仰を集めているそうです。特に広く海外に進出した華僑社会にとてっては、心のよりどころとなる宗教的な施設であるようです。
さて、ここで現在の日本の社会との違いが鮮明に浮かび上がってきます。例えば、商店街における「公的」な振興策は、政教分離のガチガチの原則のもとに、せいぜい地鎮祭に神主さんにお払いをしてもらうのが宗教とのかかわりの限度です。商店街の振興のために、近隣の神社、仏閣の行事や人気を利用することがあっても、積極的に神社仏閣に人が集うような目的で(例えば、社殿を新しくするとかに)公的資金、支援を行うことは皆無だと思います。そして、この厳格な政教分離が、商店街や地域が催す催事に味わいや歴史性・物語性を与えられない一因になっているように思います。「○○市 ふれあい祭り」なんて聞いて、「面白そう!」と感じる人はどれだけいるでしょう? 例え20年この行事を続けたとして、どれだけの市民が心待ちにするものに熟成していくでしょう?
それとは対照的に、横浜中華街の組合が計画通り来年11月に媽祖廟建立に成功すれば、それは2005年に建設された施設でありながら、千年近い媽祖信仰に裏打ちされた共同体意識や一体感、歴史の中から滲み出てくる懐かしさや物語性を一気に具現化する存在になることができます。そこで開催される祭りは、一気に数百年の歴史をもった伝統の祭りになるのです。老人は子供のころの祭りの思い出を孫に語り、子供たちは不合理な儀式に大人たちが真剣に取り組んでいる姿を目に焼きつけ、自分たちが歴史を形づくる一員であることを体感していきます。

他国の文化をうらやんでいても仕方ありませんが、ともあれ、大京マンションが他国文化における宗教の重要性を理解したことに、敬意を表したいと思います。
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2004年06月14日

意外に似ている?イタリア人と日本人の勤労意識

光文社新書「イタリア人の働き方 国民全員が社長の国」(内田洋子/シルヴィオ・ピエールシャンティ)を読んでみました。組織に縛られた日本人と正反対に、「国や企業はそっちのけで人生を謳歌している」というイメージが強いイタリア風の働き方とは如何に?という興味でした。
読み始めると、何だか日本人とちっとも変わらないじゃないか?という印象です。まず最初にでてきたは、ローマの美人の靴磨きですが、NECのIT Squareで紹介されていた、キャピタル東急ホテルの靴磨き名人井上源太郎さんの生き方と通じるものがあります。次に出てきたベニスの水上タクシー運転手は以前新聞で紹介された京都のタクシー運転手を思い出します。そのほかビール作り、鉄製の手工芸、絵画修復、ハム作り、規模を追わない経営者などなど・・ものの作り手、サービスの提供者側で、「イタリア流」として紹介された人たちは、どこか日本の「職人」や「経営者」に似ているように感じてしまいます。ものづくり、サービスの本質は、実は大変普遍性が高いものではないかと思った次第です。
一方、日本の状況の違いを感じた点がふたつありました。
まず、消費者の成熟度というか「上顧客」の存在です。日本では、職人芸やこだわりの逸品がなかなか評価されにくい傾向があるように思いますが、欧州や中東にはこういった逸品をそれなりの金額で購入する目の肥えた客層が大勢いるなという点です。日本にも高額の古美術や海外ブランド品を買い求める金持ちは大勢いますが、日本の職人が作りこむよいものを、実用的に愛用する「上顧客」は少ないのではないでしょうか?
次に、家族やとのかかわりや思い入れです。多くの記事で、家族とのかかわりに触れていますし、故郷に対する思い入れも随所にでてきます。日本では、家内工業的なものは否定的なニュアンスで語られることが多いように思います。
この2つは、戦後日本が米国スタンダードで経済発展する過程で、意識的に置き去りにしてきたものではないでしょうか?欧州(少なくともイタリア)ではこれらは、いまも息づいているようです。
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2004年06月06日

産総研「ひやり」検出装置

産業技術総合研究所が「ひやり」検出装置を開発したとの記事をみかけました。(6月4日 日経) どんなものかというと、耳につける脈拍計と靴下につける「皮膚の電気抵抗測定装置」だそうです。心理学をかじった人はすぐピンと来ると思いますが、この脈拍計とか「皮膚の電気抵抗測定装置」というのは、俗に言う「ウソ発見器」の原理と同じです。ウソをついた人は、ばれるんじゃないかとハラハラ、ドキドキしたり、冷や汗をかくことが多いことを利用しています。

さて、この携帯ウソ発見器ですが、実用化するといろいろと使い道が考えられます。
例えば、お化け屋敷の怖さを定量的に表示するというのが考えられます。100人のサンプルにこの装置をつけてお化け屋敷を体験してもらい、この遊園地のお化け屋敷は35「ヒヤリ」、あちらのテーマパークのお化け屋敷は48「ヒヤリ」とかいうぐあいにドッキリ度を定量化するのです。
はらはら、どきどきの回数という意味では、遊園地全体の興奮度を表わすこともできますし、スリラー映画やサスペンスの定量評価も可能ではないでしょうか?
持続時間や、ヒヤリの強度もあわせて測定してもよいでしょう。

テレビの人気番組「トリビアの泉」では、無駄知識を聞いたときに感じる感心の程度を、「へー」という単位で測っていますよね。くだらないけどもの珍しい事象の物珍しさ度を定量化してランク付けすることで、単なる物珍しさをエンターテインメントにしてしまったのです。これと似ていますが、エンターテインメントの「ヒヤリ」度は、定量化することで、エンターテインメントを提供するする側への励みやものさしにもなりますし、選ぶ側にとっても興味が深まるように思います。



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2004年05月30日

生き物をめぐる4つの「なぜ」

動物行動学者の長谷川真理子さんの近著「生き物をめぐるよっつの『なぜ』」(集英社新書)によると、生物の不思議な特徴について、動物行動学者のティンバーゲンが4つのなぜに答えることが必要と主張しているとのこと。この4つの「なぜ」とは、
それがどのような仕組み(構造)であるか?
どんな機能をもっているか?(何のためか?) 
(個体の)成長にともないどう獲得されたか? 
(種として)どんな進化を経てきたのか? というものです。

具体的な例として「鳥のさえずり」を考えてみると、4つのなぜはごく簡略化すると、次のようになります。
どの様なノドの構造でさえずるのか⇒ノドと声帯の形と脳の部位はこう
なんのためにさえずるのか⇒縄張り宣言と異性の獲得のため
さえずりはどうやって習得するのか?⇒複雑なさえずりは学習が必要
さえずりはどのように進化してきたか?⇒系統的には近種で、第三紀の中ごろに急速に適応拡散したらしい

生物学と経営学のアナロジーは、お話として面白いので、ときたま見かけますが、こういう全般的な学問的な枠組みについてもアナロジーを考えるのもおもしろいように思います。
ある企業の特徴を分析研究するに際して、その特徴がどうなっているか、どんな機能を持っているかに加えて、どのようにして作り上げてきたのか、それを作り上げるにあたっての産業、市場の環境条件と他社との競争はどうであったか?という視点を付け加えておくと分析に深みがでてくるように思います。
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2004年05月24日

バスの定期券

常々不思議に思っているものに、バスの定期券があります。最近土日のバス利用促進をねらって、「環境定期券」という制度を設けているバス会社が増えてきました。これは、土日祭日には定期券をもっている人や同行する家族は、定期券の券面表示区間以外でも、一人一回100円でバスが利用できるという制度です。それなりに魅力がある制度にも思えます。ところが問題は、バスの定期券です。電車の定期券と違ってちっとも安くないのです。私の家から最寄の駅まで、バスで片道250円かかります。これを例にとってみてみます。通常使っているのは、プリペイド式のバスカードで割引率は17%引きです。週休2日ですから、平均すると通勤日はひと月に22日以下となります。従って一ヶ月のバス代は250円×2(行き帰り)×22(日)÷1.17=9,400円となります。これに対して、バスの定期代は11,250円もします。しかも、乗らない日があっても回数券式バスカードと違って出費は固定です。これでは、いくら環境定期が魅力的であってもまず引き合いません。従って、通勤に定期券を利用する乗客はほとんどいません。そうすると、定期券を売る方にも力が入りませんから、場所も不便なところで、販売時間も普通のサラリーマンには買えない日中だけ販売といった売り方しかしなくなります。
そもそも、なんでこんな経済合理性に欠ける値段に張り付いているのか?推理してみました。
バス会社の経営には国土交通省(旧運輸省)がにらみを効かせています。定期券の値段も、運賃×60(回)×(1−割引率)「ただし割引率は25%以上」という規制がかかっています。我家の場合で見てみますと250円×60×0.75=11,250円と、計算は見事に一致します。バス会社にすれば、この割引率を高くしていると、必要な折に運賃値上げを申請しづらくなるなと考えるのは容易に想像できます。かくして、誰も買わない定期券が出来上がり、持ってる人がほとんどいない定期券を前提にした「環境定期キャンペーン」が粛々と進んでいくわけです。

ところで、バスのプリペイドカードは17%も割り引くのに、パスネット(私鉄のプリペイドカード)は何で割り引かないのでしょうか?以前JRがオレンジカードで割引を設定して失敗しましたが、回数券割引がどこかに行ってしまったのは解せないのですが・・・
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2004年05月22日

寺子屋式勉強法

濱本克哉さんのメルマガ「日経MJに見るマーケティングの戦略・戦術 384号」で江戸時代の寺子屋の勉強方法が紹介されていました。これによると、江戸時代の寺子屋は、生徒(親)が先生を選び、生徒は都合のよい時間に出かけて7時間程度滞在し、もっぱら自習で先生は適宜手本をみせるのみ、というような形式であったとのこと。
考えてみると、現代においては、学校教育はこれと全く形が異なっていますが、例えば公文式の塾やチケット制の英会話サロンなどは、かなり似ています。まず、塾や専門学校などというものは、親や子供が「あそこの塾がいいらしい・・」という評判で選びます。塾の時間割は決まっているところも多いのですが、公文式やチケット制の英会話サロンなどでは、自分の都合で時間帯を選びます。さらに、学習の内容は基本的には先生の講義ではなく、自習がベースになります。
明治維新以降、日本が急速に近代化する過程で、江戸時代の教育が決して見捨てたものではないことは立証されています。
ならば、最近始まった特区として、寺子屋式教育特区というのはどうでしょうか?
学校は、朝7時ごろから夕方6時ぐらいまで、いつでもやっています。子供たちは、いついってもよいし、いやならいかなくてもよい。学校に行けば、自習を主体にして、自分のペースにあった「分かる教材」を使って自分で勉強する・・・ここでの先生は、ボランティアでもOKです。手本を見せれればいいのですから。
一方、授業の方は、短時間に圧縮し、集団で学ぶべきこと、集団で学んだ方がよいことだけに内容を厳選し、徹底した訓練を積んだプロの先生ががっちりと取り組む。
いかがでしょう?
それにしても、最近江戸時代を見直す研究がいろいろと進んでいるようです。持続し停滞はしない社会を目指すことを考えると、多くの示唆と知恵に富んだ時代ではないでしょうか?


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国民性調査にみる「家族至上主義」

情報・システム研究機構の統計数理研究所が実施した国民性調査というのがあります。4月29日の新聞に概要が掲載されていました。統計数理研究所のHPを訪問し調査概要をみて大変気になったことがあります。
「自分にとって一番大切なものは何ですか」と聞いた自由質問で、「家族」とする回答が一貫して増加し続けているのに対し、他の全ての回答「自分」とか「愛情」「お金」「仕事」などは長期的に低下しているという点です。第二位の「生命・健康・自分」が20%程度に対して、第一位の「家族」は45%ですから、断トツです。この解釈は、いろいろできると思います。この統計数理研究所は統計の研究をするのが目的で、調査内容にはあまり興味がないようで、「この質問に限れば、価値観は・・・一様化に向かっている」という分析だけですが、目をもう少し広げてみると、深刻な問題を示唆しているように思えてなりません。
近年、家庭の教育力の低下が問題になっています。そのことと、自分にとっての価値の中心が「家族」であること、さらにその「家族」の8割が4人以下の世帯であり、核家族が多くをしめていることをあわせ考えると、次のような姿が浮かび上がってきます。
すなわち、ほんの小数の、本当に身近な親子・夫婦間のつながりを至上のものにして、他の価値に背を向けてただひたすら内向きに固まっている様子です。
家族と社会のありかたを示す比喩に猛獣と母子の例えがあります。子供をつれた母親が猛獣に襲われたとき、西洋では母親は子供を背中にかくまい、手を広げて猛獣に対峙する。日本の母親は、子供を抱きかかえ猛獣に背を向けてかがみ込むというものです。
この姿が今回の調査結果に重なって見えてしまいます。
「家族」は確かに大切ですが、従来はその大切な家族で守り伝えていく「価値」があったと思います。それがなくて「家族」そのものが至上の価値になったとき、その家族の視線はどこにむかっていくのでしょうか?
posted by 利アップ at 08:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月18日

福祉を変える経営

もとヤマト運輸の社長小倉昌男さんが書かれた「福祉を変える経営」とい本があります。現在、多くの障害者授産施設が、事業の観点で経営されておらず、その結果そこで働く障害者が月1万円程度の低額の報酬しか受け取っていないこと。本当の福祉は、障害者も(援助は得つつも)しっかりと働いて、自分の稼ぎを得ることから生きる喜び、意義を見出すことにあるという主張をされています。
さて、最近我家の近くに、授産施設がオープンしました。以前から近隣の貸事務所の2階に入居していたクッキーなどを作っている小さな零細(?)授産所がありましたが、それとは別の福祉法人が、鉄筋2階建ての幼稚園舎のような趣の堂々たる建物を建ててオープンしたものです。
そこでは、うどん屋さんを営業しているので、先日試しに入ってみました。恐らくうどんをそこの施設で打っているのでしょう。味は悪くありませんでしたし、値段も高くありません。
幼稚園舎のような建物の広々としたテラスに面した食堂で「うどん」というミスマッチも、福祉の応援だと考えればまあなんとかなりますが・・・そう、小倉さんの「本当に儲けるつもりで事業をしてますか?」という指摘の観点からみるとなんとも寂しいものがあります。
土地代をいれれば数億円はかかっていると思われる豪華な施設で、一杯450円の「カレーうどん」をすすりながら、近所の小学校を思い浮かべました。この小学校は近年の生徒減少で、教室はがらがらです。空いた教室の一部を放課後の学童保育の施設に転用していまが、まだまだ空いています。だったらこの空いたスペースを活用できなかったのでしょうか?小学校の中に、うどん屋さんがあってもいいのではないでしょうか?
もちろん、今の日本では99%不可能です。福祉は厚生労働省で学校は文部科学省です。お金の出所が違います。でも、そのお金もとは国民の税金だったのにな・・・

posted by 利アップ at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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